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2007年2月14日 (水)

「第三十五話」

 私は、毎朝の日課となっている犬の散歩をしていた。仕事に行く前のこの時間が私にとっては、何よりもの至福の時間であった。誰かに邪魔される事も何かに縛られる事もない時間。真横を流れる川を見ていると、自然と心も一緒に洗われる気がした。頭の中を無に出来る一時であった。この愛犬チョコ。黒い柴犬。オス五才が喋り出すまでは・・・・・・。
「ご主人。今日は、清々しい朝ですね。こんな日にする散歩は、一段と気持ちがいいものですね。」
自然と驚く事はなかった。朝の太陽の光がそうさせているのか?私の薄い髪の毛の間を心地よく吹き抜けて行くそよ風がそうさせているのか?
「ご主人?口が開きっぱなしですよ。それに、眼鏡もズレていますよ。」
まあ、心とは裏腹に見た目は、かなり驚愕している模様であった。
「お前!?喋れたのか?なぜこの五年間、主人である私に隠していたんだ?」
「隠していた訳ではありません。」
「ありませんてお前・・・・・・現に喋っているじゃないか!昨日までは、わん!としか言ってなかったじゃないか!」
私は、口と鼻の間までズレ下がっていた眼鏡を直しながらチョコに問い掛けた。
「確かに昨日までは、わん!としか言ってませんでした。でも、喋れるようになったんです。」
そんな世にも不思議な事がありえるのか?いやいや分からんぞ!こんなご時世だ!犬が喋ったとしてもおかしくはない!それに、そんな事ぐらいでいちいち誰も驚かないだろう。
「だがいったいどうやって?」
「昨日、夢に神様が出て来たんです。それで、お前を喋れるようにしてやる!と言われたんです。」
「お伽話じゃあるまいし・・・・・・本当に神様だったんだろうな?」
「さあ?」
さあ?って、しっかりしろよチョコ!お前は、もっと賢い犬だと思っていたんだぞ。
「でもやはりこうして僕が喋れるようになっているのだから、あれは本当に神様だったのだと思います。」
まあ、言われてみればそうだな。逆に神様じゃなかった場合、いったい誰なんだって事になりかねないからな。
「何か意味があるんだろ?わざわざ神様は、お前を喋れるようにしたんだからな。」
「はい!」
「で何なんだ?」
「忘れました!」
そりゃ、お座りって言ってもお手って言っても伏せって言ってもチンチンしちゃうよこの犬は。
「さっきから思い出そうと必死に考えてはいるんですが・・・・・・なかなか思い出せなくって困っていたんです。で、ここはご主人のお力をお借りしようと思い、おもいきって話し掛けたのです。」
まさか、朝っぱらから飼い犬に頼み事をされるとはな。思ってもみなかったよ。もし、思っていたとしても、どこの誰が現実になると思うよ。それに最近じゃ、娘達も大きくなってしまって、まるで私を頼りにしなくなってしまったしな。ろくでもない彼氏なんかよりも、私の方がよっぽど頼りになる事を娘達は知らんのだよ!まあ、それ以前に私とは、ろくに口も聞いてくれない始末だがな。そうだな。ここは、私を頼りにしてくれた可愛い愛犬のために一肌脱ぐとするか!
「よしチョコ!力を貸してやろうじゃないか!」
「ありがとうございます!」
ありがとうか・・・・・・・・・。久しく耳にしなかった言葉だな。妻の奴なんて、私がゴミ出しをしてやっても仕事帰りに明日の朝食のパンと牛乳を買って帰っても、今じゃありがとうの一言も言わなくなってしまったからな。それが当たり前になってしまっているのだろう。だが、この場を借りて私は一言だけ言いたい!
「私はお米派だ!」
「はい?」
「いや、何でもないんだ。こっちの話だ。」
何にせよ。おかえり「ありがとう」。よし!俄然やる気が出て来たぞ!
「よし!頑張るぞチョコ!」
「わん!」
いやどうして急に犬語に戻るんだよ。ガクってなったじゃないか。また眼鏡がズレちゃったじゃないか。
「急に言葉を変えるんじゃないよ!」
「すいません。つい嬉しさのあまり。」
なるほどな。訛りみたいなものか。感情が高ぶるとついつい生まれ故郷の言葉になってしまうみたいなものか。懐かしいなぁ。野山を駆け回っていた少年時代・・・・・・あの頃は、何の心配も不安も無く、何かに夢中になっていたもんだ。部長もいなかったしな。
「ご主人?ご主人?ご主人ってば!!」
「はっ!?」
いかんいかん。干渉に浸り過ぎていた。危うく取引先との接待ゴルフの話まで出てきそうになってしまったではないか。
「さてと、まったく思い出せないのか?」
「思い出せません!」
「そんな自信満々に言うんじゃないよ!」
「あっ!?でも何かこの世界についての重大な事だったような・・・・・・・・・?」
だろうな。だと思ったよ。私も薄々感づいてはいたよ。神様がわざわざチョコを喋らせたぐらいだ。事が世界規模に繋がるのは当然と言えば当然だ。驚きもしない。
「ご主人?ご主人?ご主人ってば!!」
「ん?どうした?」
「僕の手綱を放しちゃってますよ?」
「ああ。」
まあそりゃ私も人間だから、ちょっとぐらいの動揺みたいなものはあるさ。私は、チョコの手綱を手に取ると同時に、震える膝をその手で押さえた。
「この世界についての重大な事か・・・・・・・・・まさか!?」
「どうしたんですか?何か分かったんですね!さすがご主人!」
別に飼い犬に誉められたとこで嬉しくも何ともないよ。ボーナスが増える訳でもないしな。逆に馬鹿にされている気分だよ。しかし、いよいよ話は大事になってきたぞ。考えたくはないが、それしかないだろう。神様がわざわざ犬であるチョコに伝えさせようとした事・・・・・・世界規模な出来事・・・・・・映画や小説によくあるパターンだがきっとそうに違いない!この世界がこの世から消滅する!!
「チョコ!」
「はい!」
「これから私が話す事を心してよーく聞くんだぞ!いいな?チョコ!」
「分かりました!」
「私なりの仮説を考えてみたんだ。神様が犬であるチョコ!お前をわざわざ喋らせて伝えさせようとした事を!いいかチョコ!驚くんじゃないぞ!チョコの言っていたこの世界についての重大な事と言うのはおそらくこうだ!この世界がこの世か」
「あっ!!」
「突然なんだ!びっくりするじゃないか!尻餅ついちゃったじゃないか!いったいどうしたんだ!」
「思い出したんですよ!神様が伝えさせたかった事を!」
私は、息を殺した。チョコの口から、今まさに世界の終わりが告げられようとしている状況に、私の緊張はピークに達していた。世界が消える・・・・・・いったいいつ?そしてどんな風に?それを聞いた私は、これからいったい何をすればいいのだ?世界を救うために何が出来ると言うのだ?私にどうし
「バレンタインデー!」
「なに!?」
「そうですよ!今日は、バレンタインデーなんですよ!ご主人が僕の名前を何度も呼ぶんで思い出したんですよ!」
「2月14日・・・確かに今日は、バレンタインデーだが・・・・・・・・・。」
「あー良かった思い出せて!ご主人に相談して正解でした!スッキリしました!本当にありがとうございました!」
「どういたしまして。って、待てチョコ!お前が伝えたかったって事は、今日がバレンタインデーと言う事だったのか!」
「わん!」
「わん!てなんだおい!世界の終焉はいったいどうなったんだ!!」
どう言う事だ?どうなっているんだ?私の考えていた事は、いったい何だったんだ?この世界のこの世からの消滅はどこへ行ったのだ?チョコは、今日がバレンタインデーと言う事を伝えるためだけに、そんなどうでもいい事のためだけに、喋れるようにされたと言うのか?神様は、いったい何を考えているのだ?ん?待てよ・・・・・・チョコ・・・・・・バレンタインデー・・・・・・はっ!?・・・・・・まさか!?犬の名前がチョコだからか?ただ単に名前がチョコってだけで家の犬が選ばれたと言うのか?なんて・・・なんて・・・なんてくだらない事を!いや、もしかしたらバレンタインデーの裏に何か重要な謎が隠されているのかもしれないぞ!
「チョコ!」
「わん!」
「わん!は、もういいから!神様は他に何か言っていなかったか?」
「わん!わん!」
「スッキリした嬉しさのあまり犬語になるのは分かったが!今はそれどころじゃないんだ!人間語で喋ってくれないか?」
「わん!」
「だからお前は・・・・・・ってチョコ?」
「わん!」
「おい!お前まさか人間語が喋れなくなってしまったんじゃないだろうな!ほら!さっきみたく喋ってみろ!」
「わん!わん!わん!」
冗談じゃないぞ!世界の危機だと言うのに!私は、チョコの体を揺すりながら問い掛けていた。
「わん!」
「いったいこの世界は、どうなってしまうんだ!チョコ!!」
何としても真実を聞き出そうと、私はチョコの体をさっきよりも少し強く揺すった。
「わん!わん!」
「チョコ!どうして喋らないんだ!!」
だんだんと私のチョコの体を揺する両手には、自然と力が入っていた。当たり前だ!世界の危機なのだか
「ガブッ!」
「いっっっっったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
何も噛み付く事はないじゃないかチョコ!!私は、お前の主人なんだぞ!立場と言うものを考え・・・・・・はっ!?もしかして、今のチョコの行動には、何か意味があるのかもしれないぞ!この世界を救うための何かヒントとなる鍵が隠されているのかもしれないぞ!そうだ!そうに違いない!
「教えてくれチョコ!私は、これからいったいどうすればいい?」
「わん!」
「何をすればいい?」
「わん!」
「チョコ!」
「わん!」
「チョコ!!」
「わん!」
「なぜさっきっからわん!としか言わないんだチョコ!なぜだ!なぜなんだ!チョコ!!」

第三十五話
「だって犬だもん」

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