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2009年2月18日 (水)

「第百四十話」

 俺は、ランナー。つまり、走る人だ。走るって行為がどう言ったものか?走っている時点でそれは、既に俺がピンチだって事だ。

第百四十話
「ピンチ・ランナー」

「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、俺がいる。追う者と追われる者の間に、俺がいる。果たして俺は、追われているのか?追っているのか?分かっているのは、俺がランナーで、しかもピンチだって事だけだ。例えば俺がランナーではなく。同じ間にいる存在として、ハムだとしよう。それはあまりにもサンドイッチで、サンドイッチ過ぎる程サンドイッチで、サンドイッチ以上でもサンドイッチ以下でもない。そこには、ピンチの欠片も見当たらない。ピンチの香りも漂わない。それは、ハムになってしまった段階で、既にピンチではなくサンドイッチだからだ。なら、どうして俺がピンチなのか?それは、俺がハムではなくランナーだからだ。
「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、俺がいる。そう、例えば止まればいいじゃないかと言う意見が、世論調査で過半数を圧倒的に越えているとする。だがどうだろう?俺が追っているのか?追われているのか?によって、答えは随分と変化するんじゃないだろうか?そう、例えばの例えば、俺が仮に追う者だとして、ここで止まってしまったら、それは俺が追う者として追われる者を追う事を、諦めた事になる。果たしてそんなに簡単に物事を諦めていいのだろうか?諦めると言う行為をそんな簡単に捉えてしまっていいのだろうか?自暴自棄になり自虐体質になり、いずれ俺は、物言わぬ人形のようになってしまうんじゃないのだろうか?だとしたら、俺は止まる訳には断じていかない。そう、例えばの例えばの例えば、俺が仮に追われる者だとして、ここで止まってしまったら、それは俺が追われる者として追う者に追われる事を、諦めた事になる。果たしてそんなに簡単に物事を諦めていいのだろうか?諦めると言う行為をそんな簡単に捉えてしまっていいのだろうか?自暴自棄になり自虐体質になり、いずれ俺は、物言わぬ人形のようになってしまうんじゃないのだろうか?だとしたら、俺は止まる訳には断じていかない。例えばの例えばの例えばの例え止まらないと言う意見がマイノリティーだったとしても、俺は走り続ける事を選択する。それは俺がランナーであり、ピンチである以前に、一人の人間であるからだ。
「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、俺がいる。ここで、この俺に巻き起こっている出来事を夢かもしれないと疑ってみよう。確率的に言ったら、バナナの皮で滑って転んで頭を打って、後頭部から血が沢山出て買い物帰りの主婦に救急車を呼んでもらい搬送先の病院が見つからず、たらい回しにされ、その間にも後頭部からは血とかが沢山出て、救急車の窓から見える車窓の景色は、あの日の父との思い出でと母が作ってくれたカレーライスの味を思い出させてくれて、何だかんだで搬送先の病院が見つかった頃には、救急車の乗組員とも少し仲良くなってて、連絡先の交換とかもしてて、その間にも後頭部からは血が2で何かが8の割合で出てて、病院で緊急手術して輸血して輸何かして、無事手術が成功して麻酔から覚めると、病室には家族似の人々がいて、常にポケットに両手を入れてビスケットを探している担当医の女医の二番目の娘と恋に落ちるよりかは、遥かに高い。夢かもしれないと疑ってみるのは、あながち間違いじゃない。
「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、紛れもなく俺がいる。疑いようもなく現実世界がそこにある。頬っぺたつねり損とは、正にこの事を言うのだろう。走るのが止められないのなら、だったらせめて、この三人一直線に並ぶのを止め、俺だけ一歩横にずれればいいじゃないかと言った意見が、リスナーから俺宛に牛乳パックで作ったエコロジーなハガキで寄せられて来たとしよう。カオス理論を知っているだろうか?例えば過去にタイムスリップしたとする。そこでは些細な行動でも、未来を大きく揺るがす影響を与えてしまうと言ったものだ。つまりこの場合の未来とは、自分が元々いた現在になる訳だが、その未来に過去の行動で、とんでもない変化をもたらしてしまうと言った具合だ。それは、山の頂上から小石を転がしたら、山の麓ではとんでもなく大きな岩になっていると言う事だ。つまりこうだ。過去にタイムスリップし、そこで少年と出会い仲良くなり、少年が石に躓いて転ぶのを助けたとしよう。助けた少年はその後、とんでもない物を発明し、そのとんでもない発明品が、とんでもない奴等の手に渡り、とんでもない事に使われ、地球がとんでもない事になってしまう。なぜなら少年は、本当は石に躓いて頭を打って死ななければならなかったからだ。なら、少年を助けなければよかったのか?いや違う。少年と出会った時点で、既に未来は少しずつだが変化してしまっている。過去にタイムスリップしたならば、現在に戻るまで、自分の存在を誰にも知られずに気配を消し、いかなる接触も避けなければならない。これは、タイムスリップの鉄則だ。つまり、過去では常に己はゴーストでいなければならい。でなければ、落ちていた小石を手に取った瞬間に、木の実を食べた瞬間に、歩いてる人とぶつかった瞬間に、己の存在が消えてなくなるかもしれないからだ。俺は、タイムスリップして来た訳でもなければ、タイムスリップするつもりもない。ただ、俺が一歩横にずれた瞬間に、俺の存在が消えてなくならないって確証までは、俺は持ち合わせていない。そもそも、追う者と追われる者のどちらかが、或いは、どちら共が俺の時代にタイムスリップして来たタイムトラベラーだとしたら、三人一直線に走ってる事で、三人一直線に走れてるって言う事は、三人一直線に走ってるうちは、未来の地球の平和が保たれているって言っても過言じゃない。なら、俺は地球の平和の為に何が何でも三人一直線に走ろうじゃないか。俺のピンチで、俺だけがピンチで、この地球が救われるなら、俺はランナーで有り続け、ピンチで居続けようじゃないか。
「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、俺がいる。

空は青く
風は心地よく
太陽の光が眩しく
学校帰りの小学生達は楽しそうに笑い合い
年齢に関係なくそれぞれな恋人達はそれぞれに愛しそうに笑い合い
そんな絶え間なく笑顔に満ちた最低限の平和に包まれている地球

例え俺がピンチだろうが
例え俺がランナーだろうが

それでも何かにつけて気付くと回っている地球
そこに青き地球
そこに蒼き地球
それがおそらく続くのであるならば
俺は最期の日まで共に走り続けよう

「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、暇だから簡単に簡単な詩を作っている俺がいる。ランナーズハイになりかけては、今一歩でなれないでいる俺がいる。客観的に見たら足の部分が漫画みたいにクルクル高速回転している俺がいる。こう言った大会があれば、きっと優勝候補だとメディアに取り上げられる俺がいる。何か嫌な雲行きだなと思っている俺がいる。今日の晩御飯も相変わらず残り物だけでいいかと考えている俺がいる。あの時、ああしていれば、今頃ああなっていて、ああなんだろうなと、ああ考えている俺が、ああいる。なので、馬鹿野郎と、あの日の俺を責めている俺がいる。うるせえこの野郎と、今の俺に言い返してくるあの日の俺がいる。もしかしたら、俺がいるから追う者と追われる者がいるのかもしれないとは、考えないようにしている俺がいる。
「待てー!」
と、追う者がいて
「待つかー!」
と、追われる者がいて
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、間に俺はもう、いない。

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