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2011年6月22日 (水)

「第二百六十二話」

「間に合った、か。」
急な便意に襲われ私は、公園の公衆便所に駆け込み、3つ並んでいる個室の真ん中に入り、便座に腰を据え、物理的には短き、だが体感時間に置き換えれば長きあの道のりを思い返していた。何度も何度も挫けそうになった。何度も何度もここで終わるのではないのか?と歩みを止めては、空を見上げ涙を堪え、波が過ぎ去るのをただひたすらに待った。そんな馬鹿な!?と、これは嘘だ!?の騙し騙しの連続の繰り返しの中、これで私の人生も、ここで終わりだなと予感させた大きな波がやって来た。だがしかし、しかし私は、勝った。他人から見ればそれは、あまりにも無造作に、とことん無作為に歩いているかのように見えたかもしれない。だがそれは、大いなる間違いだ。私は、己の勘と長年の経験を頼りに、一番近いトイレへの最短ルートを選び、一歩一歩、歩みを進めていたのだ。ただひたすらにトイレで微笑む自分の未来像を想像しながら、信じて歩き続けていたのだ。そして、見付けた。特に偶然でもなければ、単に奇跡でもない。だから、もう一度言わせてもらおう。私は、勝った。今となっては、あの時あの苦しみが、まるで嘘だったかのような安堵感と幸福感に包まれ、私は微笑んでいた。そう、その時が来るまでは・・・・・・・・・。

第二百六十二話
「男の世界」

「コンコン!」
「入ってます。」
「コンコン!」
「入ってます。」
「知ってるよ。」
「えっ?」
それが、ドアを叩く音ではなく、左側の壁を叩く音だと気付くのには、そう時間の掛からない事だった。しかし、確か3つとも空いていたはずなのに、いったいいつの間に男は左の個室へと入って来たのだ?あまりの安堵感と幸福感で、単に私が気付かなかっただけか?しかしそれにしてもなぜ?壁を叩く必要が?だがその答えもまた、時間の掛からない事だった。
「もしかして、紙が無いのか?」
「いいや、紙はたんまりあるな。」
「ならば、何か他のトラブルか?」
「アンタ、気付いてないのな。」
「何の事だ?」
「いやな、俺もな。迷ったんだよ。初対面にも満たない間柄で、いきなりこんな事を言うのもどうだろうって、な。でもな?言わないのもどうだろうって、な。」
「いったい何が言いたいのだ?」
「アンタ、死ぬよ。」
「死ぬ?何を根拠に?君はアレか?人の死が分かると言うのか?それともそうやって、如何わしい物を人に売り付けようとでもしているのか?」
「いや、そんなんじゃないな。そんなんじゃないんだよ。」
「なら、単に君は人を馬鹿にしているだけと言う事か?」
「いやいや、馬鹿にするどころか、俺はアンタを尊敬してるんだよ。」
「初対面にも満たない男を尊敬しているだと?」
「まあな。だから、言おうか躊躇ったんだよ。」
「だから、いったい何を言いたいのだね?これ以上、君の与太話に付き合ってられないから、さっさと言ってくれないか?」
「だから、言ったじゃないか。アンタ、死ぬよってな。」
「理解出来んよ。全く理解出来ん。人を尊敬していると言ったかと思えば、その尊敬している人間に向かって根拠の無い死の宣告をしたりと、君は私を怒らせたいだけなのか?」
「違うな。怒らせたいんじゃなくて、気付かせたいんだよ。」
「何をだね!」
「胸、見てみな。」
「胸?私の胸がいったいどうし!?」
何だこれは!?ナイフが突き刺さっているではないか!?なぜだ?なぜ私の胸にナイフが?どう言う事だ!?
「なっ?アンタ、死ぬよ、だろ?」
「ああ、死ぬよ、だな。」
「やっぱり、言わなかった方が良かったかな。」
「いいや、遅かれ早かれ知る事だ。」
「アンタ、通り魔にあったんだよ。」
「通り魔?」
「でも、正確には、アンタじゃないんだな。」
「どう言う事だ?」
「アンタは、通り魔に襲われそうになった女性を助けようとして、刺されたんだよ。」
「そうだったのか。で!その女性は?」
「無事だよ。俺が警察に通報しといたから、今頃は保護されているだろうな。」
「通り魔は!通り魔はどうしたのだ!君がその場を離れてしまったら、通り魔がまた女性を襲うかもしれないではないか!」
「そう来るとは、な。女性の次は通り魔、自分の事は後回し、か。やっぱりアンタ、凄いな。大丈夫、通り魔は手錠で逃げれないようにしといたから、安心だよ。」
「君は、もしかして警官なのか?」
「あの道は、以前から通り魔が出没しててな。巡回中だったんだよ。そして、目撃した。女性を助けて、胸にナイフを突き刺さされ、そしたらアンタ、次の瞬間には、倒れるんじゃなく、歩き出すんだもんな。驚いたよ。」
「それで、私を追ってここへ?」
「ああ、そう言う事になるな。」
「そうか。」
私は、おそらく胸を刺されたと同時に、便意に襲われのだろう。そして、糞を垂れ流しながら死ぬなど有り得ない事だと、私の世界が判断し、この場へとやって来たのか。
「アンタ、男の中の男だな。」
「いや、男なら誰だってこうしただろう。」
「女の盾になる事は出来ても、糞をしに来るなんて、俺には到底真似出来っこないな。」
「いや、出来るさ。」
「出来るといいな俺も、アンタみたいにな。」
「さてと、これで心置き無く逝ける。少し汚れているが、後の事を頼まれてくれるか?」
「任せとき、な。」
「ありがとう。」
安堵感と幸福感に包まれ微笑みながら男として死ねるなら、ここで十分だ。

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