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2012年5月16日 (水)

「第三百九話」

 蜘蛛って生き物、知ってんだろ?俺が朝、布団の上で何時もの様に目覚めるとさ。天井から糸を垂らして目の前に、これくらいの蜘蛛がいやがったんだよ。
「おはよう。」
あれ?っと思ったよ。一瞬な。でもまあ、蜘蛛が人の言葉を喋らない生き物だとも限らねぇし、だいたい眼鏡掛けてる時点で賢そうだったから、まあこれはこれで有りなのかなってさ。
「おはよう。」
だからまあとりあえず俺は、蜘蛛に挨拶を返した訳だ。んで次に俺は、んで?んで何なんだ?って思ったね。いや、んで?って、この状況で思わない奴が居やがるんだったら、そいつは余程の蜘蛛博士なんだろうなって事だ。だが俺は、蜘蛛博士の称号も無きゃ、嫁すら居やがらねぇ。だから、んで?って思っちまったんだ。
「俺に何か用か?」
そのオーソドックスでスタンダードな質問を聞いた蜘蛛は、ゆっくりと、聞いてる方は少しイライラする感じなぐらいゆっくりと、語り出しやがった。俺はそれを二度寝の誘惑に耐えながら聞いていた。
「選べってのか?」
「そうだ。昨日の記憶が無い今日を過ごすのか?今日の記憶が全て掻き消される明日を過ごすのか?それをお前が選ぶのだ。」
何の為に?俺は、素直にそう思ったね。けど、それを蜘蛛に問い掛ける程、俺は野暮じゃない。こうなっちまったらもう、こうなっちまった現状を受け入れてやるしかない。絶対的現実に無駄な抵抗をする事程、無駄な事なんてないからな。ましてや、これを夢だって考えちまったら、それはもう果てしなくナンセンスって奴だな。だったら何だ?最初の段階で噛んで剥がした右手の親指の爪は、何なんだ?ってなりやがる。この激痛がもたらしやがる意味を考えたら、これが夢だなんて思う奴は、余程のレスラーぐらいだ。
「あまり時間は無い。あと数分でお前が選択しないのであれば、その時はお前の命が消える。」
理不尽って言葉があるだろ?だがどうだ?理不尽って言葉を使うにはまだ、あまりにも理不尽でやがる程に理不尽な話だ。死をちらつかせての選択肢とはまた、芸の無いこった。だいたい既に答えって奴は出ちまってるってのに、やれやれ。え?昨日の記憶が無い今日を過ごすか?今日の記憶が全て掻き消される明日を過ごすか?なあ?こんな陳腐な選択肢があるか?人は毎日、意識しながら空気を吸って吐いてやがるか?考える必要があんのか?
「俺は、今日の記憶が全て掻き消される明日を過ごす!」
ここは力強く!そして堂々と、更には涼しげに言ってやるのが、礼儀ってもんだ。
「それで良いのだな?」
蜘蛛のその言葉が俺には、涙目の負け惜しみにしか聞こえなかった。おい?おいおいおい?正気か?一体誰が昨日の記憶が無い今日を過ごしやがんだ?そんな危険な今日を過ごすぐらいなら俺は、今日一日を寝て過ごすに決まってんだろ?この選択肢を迷いやがる奴なんていやがらねぇよ!
「では、良い一日を!」
そう言うと蜘蛛は、スルスルと天井に上がって行きやがった。んで、天井の隙間へ姿を消しやがった。それをぼーっと眺めながら俺は、二度寝の仕度に取り掛かった。
「何が良い一日をだよ、まったく。でもまあ、たまには一日中布団の中でゴロゴロってのも良いもんかもしんねぇな。」
目を瞑り、現実と夢の世界の狭間をウタウタしながら俺は、爪を噛み剥がす時、右手の親指にしか爪が残ってなかった事が少しだけ気掛かりだったが、どうやらそいつを気掛るより先に、夢の世界へ行っちまいそうだ。

第三百九話
「have a nice day」

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