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2016年2月 3日 (水)

「第五百三話」

 夫を亡くして気付けば半年、ようやく忙しい日々が少し落ち着き取り戻して来た頃、私はとある洋食屋の前に立っていた。あの日、夫は外食してから帰宅し、いつもより幸せそうな顔で過ごしていた。お風呂に入り、晩酌をして、夫婦の営みを終え、私達は眠りについた。そして、朝を迎えて私の横で夫は、とても幸せそうな顔で死んでいた。お医者さんから聞かされた死因は、突然死だった。警察の方で解剖してもらってけど、でもやっぱり結果は変わらなかった。脱力感と使命感の日々を過ごす中、半年が過ぎようとしたある日、リビングのソファーで虚無感に襲われながら、夫と過ごした日々を断片的に回想しながら、最後の日に夫が玄関で言った何気ない言葉と、テーブルの上に置かれた解剖結果の用紙に書かれた文字が、繋がった。

第五百三話
「死ぬほど美味いで、死ぬ」

「いらっしゃいませ。」
「・・・・・・。」
ここがあの日、夫が外食した洋食屋。普通のどこの街にでもありそうな洋食屋。店内もメニューもマスターも至って普通な洋食屋。私は、カウンターの真ん中に座った。
「ご注文は、お決まりですか?」
もちろん、この洋食屋に入る前から、何を頼むかは決まっていた。
「グラタンとアイスコーヒー。」
「かしこまりました。」
夫は、この洋食屋のグラタンを死ぬほど美味いと言っていた。その夫が愛したグラタンを味わいたい訳じゃない。コイツだ。このマスターが、私の夫を殺したんだ。死ぬほど美味いで人は死なないって思ってるかもしれないけど、違う。それは違う。人は、死ぬほど美味いで、死ぬ。私の夫がそうだったように!死ぬほど美味い料理は、罪!
「お待たせしました。グラタンとアイスコーヒーです。」
「マスター?」
「はい。」
「この男の人、知ってます?」
私は、マスターに夫の写真を見せた。マスターは、夫の写真を手に取り、しばらく眺めていた。そして、何かを思い出したかのように、私を見た。
「この人、確か半年前ぐらいだったかな?ウチの店のグラタンを食べて、物凄く褒めてくれたんですよ。あんなに褒めてもらて、あんなに幸せそうな顔で料理を食べてくれる人は初めてだったんで、覚えてますよ。」
「その時、その人、グラタン食べて何か言いませんでした?」
「何か?そうですね?ああ、言ってました!死ぬほど美味いって!」
「死にました。」
「えっ?」
「その人、私の夫なんです。この洋食屋で死ぬほど美味いグラタンを食べた翌日、死にました。」
「それは、ご愁傷様でした。」
「人殺し!」
「はい?ちょっと、奥さん!落ち着いて下さい!」
「マスター!貴方は人殺しよ!」
「ちょっと待って下さい!私は、人殺しじゃありませんよ!」
「夫は!ここで!この洋食屋で!死ぬほど美味いグラタンを食べて死んだんです!」
「待って下さい!僕がグラタンに毒でも入れて旦那さんを殺したって言いたいんですか!?僕はあの日、旦那さんとは初めて会ったんですよ?殺す理由がない!それに僕は人を殺したいって思った事なんてありません!」
「殺意のない殺人よ。」
「どう言う意味ですか!」
「だから言ってるでしょ!夫は、死ぬほど美味いグラタンを食べて死んだのよ!」
「まさか、死ぬほど美味いで死んだって言いたいんですか!?」
「そうよ!」
「そんなバカな!」
「そんなバカな?なぜ?何が?どこが?そんなバカななの?」
「死ぬほど美味いグラタンを食べたからって、それが理由で、それが原因で本当に死ぬ訳がないじゃないですか!」
「死ぬのよ!人は、死ぬほど美味い物を口にしたら、本当に死ぬのよ。」
「そんな!」
「このグラタンは、殺人グラタンなのよ!」
「そんな風に言わないで下さい。旦那さんの事は、心中お察しします。でも、突然死だったんではありませんか?」
「そうよ。」
「だったら!」
「突然死の正体が、そうだったらどうする?」
「どう言う意味ですか?」
「突然死の原因の一つが、死ぬほど美味い物を口にした事だとしたら!」
「そんな突拍子もない!?」
「人は死期が分かるって言うでしょ?そう言う事よ!」
「どう言う事ですか!」
「頭の回転が遅い人ね!口にまで出して、死ぬほど美味いって言ってるって事は!つまりはそう言う事でしょ!無意識に己の死を悟ったって事でしょ!」
「奥さん!」
「何よ!」
「奥さんはきっと、旦那さんの死を受け入れられてないんですよ。現実と非現実の狭間で混乱してるんですよ。」
「バカな事言わないで!」
「突然死を受け入れきれずに、どこかにその死の原因を見出そうとしているだけなんですよ!」
「私の頭は今、とってもスッキリしてるわ。今まで生きて来た中で一番ね!」
「だったら、奥さん。僕が作ったグラタンを食べてみて下さい。」
「ええ!もちろんよ!そのつもりで今日、ここに来たんですもの!」
「どうぞ。」
「・・・・・・・・・。」
一体、夫が死ぬほど美味いと言っていたグラタンの味とは、どんな物だったのか?そして、本当に人は死ぬほど美味い物を口にしたら、死ぬのか?答えは、これを口にすれば分かる。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・不味ッ!」
「そうなんです。不味いんです!僕が作るグラタンは!」
「何よこの不味さ!殺人的に不味いじゃない!」
「普通の材料を使って作ってるんですけど、なぜだか不味くなってしまうんです。」
「貴方、これでよく洋食屋なんかやってるわね!」
「お恥ずかしい。でも、不味いのはグラタンだけで、他のメニューは普通です。」
「なら、グラタンをメニューから外しなさいよね!どんな神経してんのよ!」
「すいません。でも、これでお分かりですよね?」
「何が?」
「旦那さんは、そのグラタンを食べて、死ぬほど美味いと言ってくれたんです。初めてだったんですよ。グラタンを食べてそんな風に言って下さったお客さん。皆さん、もれなく必ず怒ります。もちろん、旦那さんも一口しかグラタンを召し上がりませんでした。」
「当たり前よ!こんなの全部食べたら、それこそ死ぬレベルのグラタンよ!むしろ夫が何で怒らなかったのが不思議よ!」
「優しいんですよ。」
「えっ?」
「旦那さんは、物凄く不味いグラタンを食べて、唯一死ぬほど美味いと言うジョークで、笑い飛ばしてくれたんです。とても優しい方です。亡くなったと聞いて、とても残念です。」
「・・・マスター。」
「すいません。奥さんが一番辛いはずなのに、泣いてしまって。」
「ありがとう、マスター。そんな風に夫の事を思ってくれてて。」
「いえ。」
「夫の死の原因は、このグラタンじゃなかったようね。」
「誤解が解けたみたいで良かったです。」
「でも!このグラタンは、メニューから外した方がいいわ!不味くて不味くて!」
「どうぞ、アイスコーヒーで口直しして下さい。」
「もちろんよ。」
「すいません。」
「えっ?何このアイスコーヒー!」
「自慢のアイスコーヒーです。」
「美味い!」
「ありがとうございます。」
「死ぬほど美味い!えっ!?まさか!?こっち!!」
「はい?」

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