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2016年6月

2016年6月 1日 (水)

「第五百二十話」

 俺は、宝箱開け課の者だ。宝箱を開けるだけで、トレジャーハンターではない。トレジャーハンターは、隣で二つの宝箱を前に座って腕組んで必死になって迷ってる奴の方だ。通常、トレジャーハンターと言ったら自分で宝箱を開けて宝を持ち帰ると考える人もいるかもしれないが、そう言う優秀なトレジャーハンターは極々稀な存在で、実際には役所に宝探しを申請しに来たトレジャーハンターと宝箱開け課とで話し合いを繰り返し、宝探しに向かう。
「で?俺は、どっちの宝箱を開ければいいんですか?」
「ちょっと待って下さい。もうちょっと考えさせて下さい。」
「そう言ってもう、何時間も経ちますよ?」
「そんな事言われても、まさか宝箱が二つ存在するなんて思ってなかったんですよ。」
確かに、この四丁目のクリーニング屋のダンジョンの47階には、宝箱は一つのはずだった。しかし、こう言う事態は、よくある事で、古からの言い伝えなんてモノは、結構大雑把なモノだ。金色の宝箱とボロい宝箱、トレジャーハンターの頭を悩ませるには、確かに十分な素材だ。
「あのう?宝箱開け課さん?」
「何ですか?トレジャーハンターさん。」
「どっちだと思いますか?」
「どう言う意味ですか?」
「金色の宝箱、ボロい宝箱、どっちも正解っぽいけど、どっちもトラップっぽい。どっちに宝が入ってると思いますか?」
「トレジャーハンターさん?分かっていると思いますが、それは規則違反です。あくまで開ける宝箱を決定するのは、トレジャーハンターの意志です。そこに役所の人間が関与する事は出来ません。」
「分かってます。けど、意見を聞くぐらいいいじゃないですか。」
「駄目です。何か事故が起きてからだと、後々面倒臭い事になります。」
「そんなマニュアル通りみたいな事言わないで、どっちだと思うか意見して下さいよ。」
「マニュアル通りに仕事するのが役所なので、すいません。それに、マニュアルに一番厳しいのが宝箱開け課なのは、トレジャーハンターさんが一番理解していますよね?」
「くそっ!ちくしょう!よし!金色だ!金色の宝箱にする!金色の宝箱を開けて下さい!」
「金色の宝箱ですね。分かりました。」

「いや!ちょっと待った!やっぱりボロい宝箱だ!ボロい宝箱を開けて下さい!」
「ボロい宝箱ですね。分かりました。」
「いやいやいや!やっぱり金色の宝箱!じゃなくて!ボロい宝箱!でもなくて!ああ!もう!くそっ!」
「どっちを開ければいいんですか?」
「あのう?宝箱開け課さん?」
「何ですか?トレジャーハンターさん?」
「金色の宝箱もボロい宝箱も、両方開けるって事は出来ないんですか?」
「それは出来ません。宝箱開け課同伴の場合、一つのダンジョンで開けられる宝箱の数は一つです。」
「そこを何とか!僕には、金色の宝箱かボロい宝箱かを決める事なんか出来ませんよ!」
「そもそも一人で宝箱を開けられるS級トレジャーハンターでさえ、一つのダンジョンで開けられる宝箱は三つまでの決まりです。貴方は、トレジャーハンター準二級です。そんなトレジャーハンターが、ここで宝箱を二つ開けられる訳がない。」

「でも!」
「ええ、言いたい事は分かります。中にはルールに反して宝箱を乱開けしてるトレジャーハンターもいます。しかし、その多くは免許を剥奪され、血族全員が宝箱刑務所に入れられ、死ぬまでそこから出られない生活を送っています。そして何よりも、そんな事をしたら宝箱がこの地球上から絶滅してしまうんですよ?それでもいいんなら、金色の宝箱とボロい宝箱を二つ開けます。」
「・・・すいません。バカな事を言ってしまいました。」
「分かって貰えたんなら、結構です。」
「宝箱開け課さん。」
「何ですか?トレジャーハンターさん?」
「トラップの確率は、どれくらいですか?」
「トラップの確率は、低いです。おそらく、金色の宝箱を開けてもボロい宝箱を開けても、宝が入っている確率が高いです。しかし、あくまでそれは確率が高いと言うだけで、トラップの場合もあります。確か申請時、トラップ保険には加入していましたよね?」
「はい。」
「では、何の心配もないはずですが?」
「あのう?宝箱開け課さん?」
「何ですか?トレジャーハンターさん?」
「どう考えてもトラップだった場合、僕よりも宝箱開け課さんの方がヤバいですよね?」
「はい、最悪の場合死にます。」
「いいんですか!?」
「いいも悪いも、それが宝箱開け課の仕事ですから。」
「そ、そうですか。」
まるで自分が死刑執行人になったかのような感覚に陥って悲しい目で俺を見るトレジャーハンターだったが、しかしそれが唯一、宝箱の乱開けの罪を俺が償う方法だ。
「さあ?トレジャーハンターさん?金色の宝箱、ボロい宝箱、どっちを開けますか?」

第五百二十話
血族解放の為」

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2016年6月 8日 (水)

「第五百二十一話」

「さすがに今回は、死ぬかと思ったな。」
「ああ、だが生きてる。」
「こうして生きてるのが不思議なぐらいだ。」
「いつもの事だろ?」
「そうだ。」
「ああ、そうだ。」
辺りには何もない長い一本道の真ん中で、何か途轍もない大きな仕事を終えた男が二人、ボロボロな格好で立っていた。
「さて、そろそろ行くかな。」
「ああ、そうだな。」
「またな。」
「ああ、またな。」
「次は、ヘマするなよ?」
「おいおいおい、どの口が言うんだ?」
「確かに俺もヘマはするが、お前の方が多いだろ?」
「いやいやいや、俺よりもお前の方がヘマの数は多い。」
「いいや、お前の方が多い。」
「神に誓ってもいい。多いのは、確実にお前だ。」
「神なんか信じてんのか?」
「いいや、信じた事は一度もない。」
「だよな?」
「ああ、そうだ。」
男達は、そう言うと握手を交わした。男達は、数々の色々な思い出を共有する大親友であった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「これは、別れじゃない。」
「ああ、知ってる。」
「俺達は、必ずどこかでまた、出会う。」
「ああ、分かってる。」
「そして、共に笑い。」
「共に泣き。」
「共に怒り、お前がヘマをする。」
「いや、お前がヘマして、それを俺がフォローしてやる。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「そしてまた、共に笑う。」
「で、最後にこうして別れる。」
「で、こうしてまたいつかどこかで出会う。」
「そうだ。」
「ああ、そうだ。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「元気でな。」
「そっちも元気でな。」
「退屈で死ぬなよ。」
「お前もな。」
男達は、笑顔を見せた。別れが辛いから無理に笑顔を作ったのではなく、次に出会った時の事を思い浮かべて笑っていた。一体その時には、どんな活劇が待っているのだろうか?退屈な日常を覆す日々が待っているからこそ、男達は退屈な日常へと帰って行く。
「俺は、右に。」
「俺は、左に。」
何度繰り返したか分からない出会いと別れ。その数と同じ数だけの色々な思い出が男達の頭の中に駈け巡る。地球が丸いから男達が何度も出会うのか?男達が何度も出会うのから地球が丸いのか?
「じゃあな。」
「またな。」
別れの干渉には浸らない。男達は、振り返らずに歩いて行く。次に待ち受ける刺激的な日々を想像しながら、前を向いて歩き出す。一人は、右へ。一人は、左へ。退屈な日常へと一歩一歩、帰って行く。その足取りは、それほど重くはない。

第五百二十一話
いや、出会わないよ!絶対に!だって右に行った男は数分後、飲酒運転のトラックに轢かれて死ぬし!でもってその数分後に左に行った男もその飲酒運転のトラックに轢かれて死ぬし!」

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2016年6月15日 (水)

「第五百二十二話」

「マスター?」
「ん?」
「今日、食い逃げしていい?」
「いいよって言う飲食店があるなら、その真意を伺いたいもんだね。」
「と言う事は?いいって事?」
「ダメに決まってるだろ!今日も明日も明後日も未来永劫ダメだろ!」
「ここが食い逃げ飲食店の第一号になればいんだよ!」
「すぐに潰れちまうだろ!」
「じゃあ、今日だけ特別にオムライスを注文した客に対しては食い逃げしてもいいよってのは?」
「店に何のメリットがあるんだよ!そのシステム!んな事をわざわざすんならオムライス、無料で振る舞うよ!」
「いやいやいや、マスター。分かってない。」
「分かりたくないね。」
「無料で振る舞われたら、食い逃げのハラハラドキドキ感が味わえないじゃないか。」
「そんなハラハラドキドキ感を俺の店で客に味わって欲しくないね!」
「よし!決めた!今日は、マスターの店で食い逃げをする!」
「頭おかしいのか?やるなら他の店でやってくれ!と言うか、食い逃げなんかすんな!しようと考えるな!」
「マスター、人ってさ。」
「人の話出て来たら、大概終わりだぞ?」
「よく、大空を自由に飛べる鳥に憧れるじゃん。」
「何の話が展開されてんだ?」
「でもさ。僕はあれ、大間違いだと思うんだよね。」
「いいじゃねぇか。人は空を飛べない。だから、空を飛べる鳥に憧れる。いいじゃねぇか。間違っちゃいないだろ。」
「いや、マスター!大間違いなんだってば!」
「俺、そんなに抱腹絶倒な事を言ったか?」
「飛べないんだから!そもそも飛べるような構造になってないんだからさ!人って!」
「どこに着地する話なんだ?」
「持っちゃいけないんだよ!抱いちゃいけないんだよ!そんな憧れなんかをさ!そもそも考えてもみてよ!飛べない人間がいきなり明日から飛べるようになった時の事をさ!大パニックだよ!死者多数だよ!今世紀最大の大惨事だよ!」
「まあ、実際にそんな事が起きたら、そうかもな。」
「だから僕は、出来る範囲の実現可能な人間臭い憧れの食い逃げを今日!この店でする!」
「どんな理屈だよ!おい!いいか?耳の穴かっぽじってよく聞けよ!」
「本当に言う人に初めて会った!?」
「食い逃げってのはな?犯罪なんだぞ?こんな事を俺がわざわざ言わなくたって分かってんだろ?」
「ああ、マスター。もちろん分かってるよ。分かり尽くしてるよ。」
「いちいちな言い回しだな。」
「だから、やってみたいんじゃないか!」
「やっちゃいけない事だからか?」
「そうだよ!やっちゃいけない事マジックだよ!」
「おいおいおい、そうやって人はダメになっちまうんだぞ?」
「マスター?ダメになるかならないかは、やってみなきゃ分からないじゃないか!」
「食い逃げしようとしてんだから、やらなくたって分かるだろ!」
「人を殺したり、不思議な薬に手を出したりする訳じゃないんだよ?ヘイ、マスター!」
「陽気に、ヘイマスター!じゃねぇよ!犯罪は犯罪だろ?店にしてみりゃあ!食い逃げされたら被害は殺人級なんだよ!」
「そうなの!?」
「当たり前だろ!分かったら、食い逃げなんてバカな事考えんなよ!」
「マスター?」
「分かってるよ。わざわざ言葉にして謝らなくったっていいよ。」
「僕、足には自信あるんだ!」
「分かってるを分かってなかった!?」
「超能力者以外は、追い付けないと思うんだよね!」
「超能力者以外、追い付けない奴が、何でその能力をもっと有意義に使わないんだよ!」
「大会に出場して記録塗り替える的な話?」

「大会に出場して記録塗り替える的な話だよ!」
「マスター?超能力者以外、自分の能力に勝てる者のいない人間の苦悩知ってる?」
「知るかよ!そんな訳の分かんねぇ苦悩!」
「虚しいよ?ネイティブな能力で頂点極めちゃうってのはさ。だって、超能力者以外、自分を負かす者が毎日毎日いないんだよ?バカらしくなっちゃうよね?マスター?勝ち続けるって、大変だって世間では言うじゃん!でも、勝ち続けるって、全然大変じゃないんだよ。むしろその逆!息したり瞬きすんのと一緒!」
「悪い。何の話をしてんだ?」
「僕はね、マスター?負けたいんだよ。」
「だから、何の話?」
「隠しても無駄よ?マスター。僕は、知ってるんだ。マスターは、超能力者だ!」
「もうあれだな?呆れて何も言えないよ。呆れて何も言えないって、実際にあるんだな。生きてると色々あるんだな。」
「いい?」
「ダメだろ!俺は、超能力者じゃないんだから!仮に超能力者だったとしたら、普通に勝負を挑めばいいだろ?」
「超能力者が真の力を発揮する時は、食い逃げされた時と言われている。」
「ご都合主義にも程がある!」
「マスター?人ってさ。」
「またかよ。」
「大空を自由に飛べる鳥に憧れるじゃん。」
「いやその無意味な例え話ついさっき聞いたよ!」
「大海を自由に泳ぎ回るイルカに憧れるじゃん。」
「あんまそれは聞かねぇけど着地点は一緒だろ?」
「もう!一体どうしたら食い逃げさせてくれるってんだよ!」
「飲食店のマスターを目の前に、どんな怒りを爆発させてんだよ!なあ?いいか?俺の店で食い逃げするって事はだぞ?ここの関係は、もう絶たれるって事だぞ?」
「マスターは、そんな人間じゃない!食い逃げされたからって、人間関係を絶つような男じゃない!」
「ボランティアでマスターやってんじゃねぇんだよ!俺は、これで生活してんだよ!」
「するよ?」
「ダメだっつってんだろ!」
「つわれても!つわれてもだよ!マスター!」
「あのな?食い逃げしたいんだったら、まずは何か注文したらどうだ?水だけで、どんだけいるつもりだよ!」
「だって、マスター!美味いんだもん、水!」

第五百二十二話
殺人級に水が美味しい店」

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2016年6月22日 (水)

「第五百二十三話」

「いい天気ですね。」
「びっくりした!?」
「どーも。」
「こんな所で何してるんだ!?」
「それは僕の台詞ですよ。僕は、貴方が何をしてるのか気になって、だったら直接聞いてみようと思って、来ちゃいました。」
「何をしてるかって、分かるだろ?」
「車大好きおじさんですか?」
「誰が車大好きおじさんだ!」
「車大好きおじさんじゃないんだったら、やっぱりここで何してるんですか?ですよ?」
「少し考えたら分かるだろ?」
「向こうで、何時間もここに普段着で立ってる貴方を普段着で何時間も見てて、色々考えてたんですよ。で、導き出したシンプルな答えが、さっきの車大好きおじさん。」
「ずっと私を見ていたのか?」
「はい。一部始終。」
「分からないのか?一部始終見ていたのに?」
「ごめんなさい。僕の頭では、限界です。もう、車大好きおじさんの答えに辿り着いてから、貴方が車大好きおじさんにしか見えません。だから、それが間違いだとしたら、もはや答えを本人の口から聞くしかないんです。教えて下さい!貴方は、ここで一体何をしてるんですか?」
「キミは、私をからかってるんじゃないのか?」
「からかう?とんでもない!僕は、真剣に悩んでるんです!」
「本当に、私を見て、ここで何をしてるのか分からないのか?」
「はい!」
「渡れないんだよ!」
「渡れない!?」
「そんなに驚く事か?」
「いや、車大好きおじさん以上にシンプルな、実にシンプル過ぎる答えに少し驚いただけです。」
「そうか。私は、ここを渡って向こうに行きたいだけだ。だが、思った以上に交通量が激しくてな。ここで立ち往生だ。」
「何時間もですか!?」
「何時間も経っていたのは、キミに教えてもらうまで気付かなかった。そうか、もう何時間も経っていたのか。それならキミが私を車大好きおじさんだと勘違いするのも納得だ。」
「政治が悪いんですかね?」
「何の話だ?」
「いや、貴方が向こうに渡れないのは、この国の政治が悪いのかなって話です。」
「政治は関係ないだろ。」
「アレじゃないんですか?何かやり場のない根源は、全て政治のせいにしちゃおうって言うのが、この世のルールなんじゃないんですか?」
「知らんよ!そんなルール!ん?」
「どうしたんですか?」
「何か、キミがここに来てから少し交通量が減ってきた気がするな。」
「いやでも、危ないですよ!」
「そんな事言ったって、どの道行くか戻るかしかないんだ。それに、娘が家でプレゼントを待っているからな。」
「娘さん、誕生日ですか?」
「ああ。」
「おめでとうございます。」
「ありがとう。よし、次の車が行ったら行けそうだ!」
「いやでも!」
「私は、絶対に渡りきる!」
「私は?」
「よっと!」
「急いで!早く早・・・あっ!」
車大好きおじさんだって思ってた人は、みるみる加速する交通量に取り込まれて、瞬く間に無惨にも跡形もなく、この世から消えた。そして僕は、ここに取り残された。もしかしたらここは、別次元の世界で、誰からも見えてないのかもしれない。
「何してるの?車大好きお兄さん?」
「えっ!?」
気付くと僕の真横に少女が立っていた。
「そう言うルールなのか!?」

第五百二十三話
THE中央分離帯物語」

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2016年6月29日 (水)

「第五百二十四話」

「お、おい!?こりゃあ、一体どうなってやがるんだ!?」
老いた刑事は、大粒の雨が降る中、傘も差さずに玄関前に止めた車から急ぎ足で家の中に入り、その異様な空気と温度と臭いがするリビングへと一直線に足を運ぶと、その無惨な光景に驚愕していた。
「ご苦労様です。」
老いた刑事の登場を待ち侘びていた若い刑事は、その姿を発見するなり足早に近寄り、声を掛けて来た。
「おい、こりゃあ、一体どうなってやがるんだ?」
気が動転して頭の中が混乱しているのか?老いた刑事は、数秒前に放った言葉を再び口にした。
「分かりません。」
「だよな。事件に巻き込まれるような佇まいには見えなかったがな。」
そう言うと老いた刑事は、家の中を見渡した。ごく普通の装飾に、ごく普通の壁紙に、ごく普通の暮らしっぷりに、窓の外には、ごく普通の自動車に、建ち並ぶ家々もまた、ごく普通だった。
「事件に巻き込まれると言うか、これは事件自体がこの家の中で巻き起こったのではないでしょうか?」
そう言うと若い刑事は、血まみれのリビングの血まみれの夫婦の死体に目をやった。
「事件?事件ねぇ?」
老いた刑事は、くしゃくしゃの髪の毛を掻きながら呟いた。
「はい。」
若い刑事もまた、整った髪の毛を掻きながら呟いた。
「夫が妻をナイフで何度も何度も何度も何度も刺した。何度も何度も何度も何度も。」
床に横たわる妻のその変わり果てた無惨な姿に目をやり、老いた刑事は小さな声で言った。
「ええ、それから自分は猟銃を口にくわえて、右足の指でその引き金を引いた。」
ソファーに力無く座る夫のその変わり果てた無惨な姿に目をやり、若い刑事は少しジェスチャーをくわえながら小さな声で言った。
「なあ?答えてくれ。俺は、悪い夢でも見ている最中なのか?バーボンの飲み過ぎで悪い夢でも見ている最中なのか?だったら、いいか?お前がやるべき事は1つだ。今すぐ俺の顔面をぶん殴って、この悪夢から叩き起こしてくれ。酷い二日酔いの方が、よっぽど天国だ。」
老いた刑事は、右のほっぺたを指差しながら若い刑事に向かって苦笑い混じりで言った。

「・・・いいえ、これは紛れもなく現実です。酷い現実です。」
それに対して若い刑事は、目をつぶり首を数回横に振りながら答えた。
「何てこった。一体どうなってやがるんだ?」
そう言うと老いた刑事は、天を仰いだ。現実から目を背けたのか?または、神に問い質したのか?そして、目を閉じた。
「どうしますか?」
「ああ?どうしますかだと?」
老いた刑事は、若い刑事に顔を向けた。
「はい。」
「どうしますかって、そんなもんは俺の方が聞きたいもんだね。」
「とりあえずこれって、やっぱり事件?なんですよね?」
「事件?事件ねぇ?さあな?刑事を600年ぐらいやってれば、ほぼ全ての事件を経験した。この世にある事件って事件にだ。だが、こんなのは初めてだ。人が人を殺すなんて、こんなのは初めてだよ。一体どうなってやがるんだ!」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
若い刑事は、その老いた刑事の物凄くベテラン感が込められた言葉を聞き、黙り込んでしまった。老いた刑事もまた、この異常な状況をどうやって処理していいものか?と、黙り込んでしまった。

第五百二十四話
「人が人を殺さない世界」

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