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2017年2月 1日 (水)

「第五百五十五話」

「ここは?」
「肘!」
「ここは?」
「肘!」
「じゃあ、ここは?」
「肘!」
「この地球は、いつまでこうして、緑豊かな地球でいられるんだろう?ここは?」
「肘!」
「いつになったら、世界各地で人々が殺し合いをやめるんだろう?ここは?」
「肘!」
「いつになったら、世界に本当の平和が訪れるんだろう?そもそも何が一体平和なんだろう?もしかしたら、僕らはそれが明確に分かっていないから、いつまで経っても世界が平和にならないんだろうか?ここは?」
「肘!」
「病に苦しむ人、生まれた環境に苦しむ人、理不尽で不条理に突然やって来る大切な人との永遠の別れに苦しむ人、怒りでも悲しみでも他のどの感情でもない無感情でない感情に襲われて、暗黒を歩き出す人に光はあるんだろうか?ここは?」
「肘!」
「幸せな人を羨みそして妬む、だけど幸せな人は、悪じゃない。だが、幸せは一方で不幸を呼ぶのも確かなのかもしれない。でも、幸せは一方で幸せを呼ぶのも確かなのかもしれない。ここは?」
「肘!」
「死にたいけど死ねない。死にたくないけど死ぬ。そんな矛盾だらけの解明不可能な予測不能な死の仕組み。人は死ぬから一生懸命に生きていられるのか?人は死ぬから今日を明日に繋げようと必死に生きているのか?死なないと人はどうなるんだろう?人は人じゃなくなってしまうんだろうか?人が人として完成する日は、来るんだろうか?だとしたら、未完成の僕等は人なんだろうか?人は、人を何を持って人だと認識してるんだろうか?人が生んだのだから人だと、そう判断してるんだろうか?もし仮に思考が人を形成しているんだとしたら?人との定義を価値観だとしたら?そんな時代がいつの日にかやって来たとしたら?人は人じゃない人を、人じゃないと思って接する事が出来るんだろうか?ここは?」
「肘!」
「キミは、神を信じているかい?ここは?」
「肘!」
「僕は、神を信じちゃいない。ここは?」
「肘!」
「それは、なぜか?それは、極々簡単な答えだよ。当たり前過ぎて驚くような簡単な答えだよ。ここは?」
「肘!」
「出会った事がない。僕は、神の姿を見た事もなければ、神の声を聞いた事すらない。だけど、こんな僕でも神に祈る事がある。こんな神を心の底から信じちゃいない僕でもだ。そう、だからきっと、神はそんな存在なんだろう。ここは?」
「肘!」
「願っても願っても結果は分かりきってる。それでも見えない存在の神に、触れる事の出来ない神に、願い続ける。ここは?」
「肘!」
「或いは、神が人の願いを全て叶えてくれる存在だとしたら、どこかで誰かがいつもいつも、こう願ってるのかもしれない?ここは?」
「肘!」
「人が、お願いした全ての願いを、どうか叶えないで下さい、と。だとしたら、神は本当に存在してるのかもしれない。ここは?」
「肘!」
「ここは?」
「肘!」
「ここは?」
「肘!」
「ここは?」
「肘!」
「さあ、今日もとりあえず生きてるから、生きてみよう。ここは?」
「肘!」
「そして、明日もとりあえず生きてたら、生きてみよう。ここは?」
「肘!」
「その時間が普遍的で概念的で孤独感に満ち溢れてたとしても無駄に足掻いて、生きてみよう。気付けなかった大切な事に気付けるかもしれない。偉大な何かを成し遂げられるかもしれない。最後にはその全てが無駄に終わるかもしれないけど、この地球の生命活動が終わるまで、とにかく無駄に足掻いて生きてみよう。ここは?」
「肘!」

第五百五十五話
「零回零回クイズ」

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