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2019年5月 8日 (水)

「第六百七十三話」

 丁字路に気品ある大学生の小さな女が立ち止まっていた。それを不思議そうに眺めていた初老の男が堪らず声を掛けた。
「お嬢さん?さっきから、結構な時間そこに立っているが、何かお困りかな?」
「刺さるような視線を浴びせていた素敵なおじ様に声を掛けていただく為ですよ?」
「え?」
「あはは!」
「ん?」
女は男の顔を見上げて悪戯に笑った。
「嘘です。ごめんなさい。」
そう言うと女は丁寧に頭を下げ、今度は男の顔を見上げて優しく微笑んだ。
「どう言う事だ?」
男は首を傾げた。
「こう言う事ですわ。素敵なおじ様!私は、ここを右に進んで伯母様の家に行きますの。」
「なら、何でお嬢さんは、立ち止まっていたんだ?」
「それは、一つの疑問が私の頭の中を駆け巡ったからですわ!」
女は無邪気に笑って男の顔を見上げた。
「疑問?」
「そう!疑問!」
「それは一体どう言った疑問なんだ?差し支えなければ、おじさんに教えて貰えないだろうか?」
「いいですわ!」
「ありがとう。」
「頭の中を駆け巡った疑問と言うのは、もし!もしも私がここを左に行った場合を考えていたからですの!」
「左に行った場合?」
「ええ!」
「ん?どう言う事だ?」
「ですから!本来は右に進んで伯母様の家に行かなければならないとこを左に行った場合ですわ!」
「それじゃあ、伯母さんの家に辿り着けないじゃないか。」
「そうです!」
「ん?」
男は、首を傾げて見せた。
「素敵なおじ様?私は、ここを右に曲がって伯母様の家に行くのが当たり前でしたの。」
「そうだろうな。」
「それはもう!幼い頃から、ずっと!」
「そうだろうな。」
「ずっとずっと!ずーっとですわ!」
「つまりこうか?お嬢さんは、左に行った事が一度もない。」
「そうです!やっぱり素敵なおじ様だわ!」
女は、無邪気に笑いながら何度も頷き、男の顔を見上げた。
「だから、今まで一度も行った事のない左の道を行った場合を想像していたと言う事か。」
「そうですわ!」
「差し支えなければ、どんな想像をしていたか教えて貰えないだろうか?」
「気になります?」
女は、男の顔を見上げて悪戯に笑った。
「ああ、気になる!」
男は、深く頷いて見せた。
「いいですわ!」
「ありがとう。」
「私が、今まで一度も行った事のない左の道を行った場合、死ぬかもしれない!」
「死ぬ!?」
「ええ、そうですわ!死ぬかもしれない!」
「死にはしないんじゃないか?」
「素敵なおじ様?それは違います!左の道には、あらゆる可能性が存在しています!死もその一つですわ!」
「まあ、確かにそうかもしれないが、だったらその可能性は、右の道にも存在してるんじゃないか?」
「そう!まさにそうですわ!素敵なおじ様!」
女は、無邪気に笑って男を見上げた。
「ん?」
「つまり!私が導き出した答えは、右の道を行った場合も左の道を行った場合も可能性の存在は同じ!違うとすれば、ただの一つ!伯母様の家が存在してるかしていないかだけですわ!」
「なるほどな。」
「ですから、私はもう一つの場合を考えていました!」
「もう一つの?」
「ええ!そうしたら、こんなに素敵なおじ様に出逢えましたわ!」
「え?」
「失礼!」
女は、無邪気に笑いながら何度も頷き、男の顔を見上げた。そして、威風堂々と丁字路を右に曲がって歩いて行った。
「ん?」
男は、首を傾げた。そして、不思議そうな顔をして、丁字路を左に曲がって歩いて行った。

第六百七十三話
「右にも左にも行かなかった場合」

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